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大阪高等裁判所 昭和51年(く)117号 決定 1977年3月17日

主文

原決定を取り消す。

理由

本件即時抗告申立の趣旨および理由(大阪区検察庁検察官事務取扱検事小林照佳作成の即時抗告申立書および同理由補充書並びに同庁検察官事務取扱検事生駒啓作成の即時抗告申立理由補充書(二))の要旨は、

要するに、原決定の取消しを求め、本件道路交通法違反(無免許運転)の所為は、小松義明が犯したものであるところ、同人は捜査官に対し一貫して実弟小松慶治の氏名等を冒用したため、起訴の検察官事務取扱検察事務官および裁判所において右冒用の点に気づかず、被告人の氏名としては、右「小松慶治」なる氏名を表示して略式命令の請求、同命令の発布および告知がなされるに至つたが、本件は身柄拘束のない、いわゆる三者即日処理事件と異なり、現行犯人として逮捕され、犯人の写真を撮影するとともに指紋を採取して犯人の特定を客観的に裏付け、身柄逮捕のまま起訴状に「逮捕中待命」の表示をして略式命令を請求し、即日略式命令の発布および告知を受け、即時罰金を仮納付したものであり、その後右採取指紋より氏名冒用事実が発覚し、検察官において正式裁判を請求したうえ、被告人氏名等の表示に関する起訴状記載事項の訂正申立をしているのであるから、本件起訴状により起訴された被告人は、逮捕中待命の「小松慶治」なる氏名等の冒用者である「小松慶治こと小松義明」であり、かつ同被告人に対し適法に略式命令が告知されているので、検察官の正式裁判請求により通常の審判に移行した本件につき、被告人氏名等の表示に関する訂正を許容したうえ、審理を進めて実体判決をなすべきであるのに、被告人を被冒用者である「小松慶治」であるとなし、発布された略式命令を取り消したうえ、本件公訴を棄却した原決定には、被告人の特定および略式命令の告知に関する刑訴法二五六条二項一号および同規則一六四条並びに同法四六三条の二第一項の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

そこで、本案および本件(以下単に本件と略称する)事件の記録(疎明資料を含む)を検討して次のとおり判断する。

一本件の検挙から公訴棄却決定に至るまでの経過について

1  小松義明は、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和五一年八月一六日午前一一時三〇分ごろ、大阪市生野区新今里一丁目七番七号先道路において、普通乗用自動車を運転した本件無免許運転につき、同日午前一一時三五分同所付近で大阪府生野警察署警察官に現行犯人として逮捕され、同月一七日身柄拘束のまま大阪地方検察庁検察官に事件送致され、同検察官が同日午後一時三〇分同人の身柄を受け取り、同月一八日同庁から大阪区検察庁に同じく身柄拘束のまま事件移送のうえ、同日同庁検察官事務取扱検察官から「逮捕中待命」の方式により大阪簡易裁判所に公訴を提起し、かつ略式命令を請求し、同日午前九時五〇分ころこれが同裁判所に受理され、同裁判所は直ちに書類を審査して略式命令を発し、略式命令の請求があつてから約一時間二五分後である(検察官が司法警察員から身柄を受け取つたときから二四時間以内であり、逮捕時より七二時間以内でもある)同日午前一一時一五分大阪地方・区検察庁庁舎内である執行徴収課室内において、待機中の同人が略式命令謄本の送達(告知)を受けたうえ、即時略式命令で科せられた罰金四万円を仮納付したこと、

2  右の間、小松義明は、一貫して自己の氏名等を偽り、実在人物である実弟小松慶治の氏名、生年月日、住居等を冒用しつづけ、検挙警察官において区役所に電話照会した結果も、冒用どおりの「小松慶治」の存在が確かめられ、検挙警察官、大阪区検察庁検察官事務取扱検察事務官および大阪簡易裁判所において、いずれも右氏名等冒用の点に気づかなかつたため、被告人の氏名等としては、右「小松慶治」なる氏名および同人の生年月日、住居等を表示して略式命令請求の起訴、同命令の発布および告知(送達)がなされたこと(起訴状および略式命令の被告人に関する表示および主文は別紙の第一、第二のとおりである)、

3  ところで生野警察署は、前記の如く現行犯人として逮捕した小松義明の写真を撮影するとともに、同人の一〇指指紋等を採取して指紋原紙および指紋票を作成したうえ、写真につき被疑者写真票を作成してその写真原板とともに大阪府警察本部鑑識課に送付し、指紋につき、指紋原紙を警察庁鑑識課長に、指紋票を大阪府警察本部鑑識課長にそれぞれ送付したこと(刑訴法二一八条二項、昭和三二年国家公安委員会規則第二号「犯罪捜査規範」一三一条一項、昭和三一年同委員会規則第二号「被疑者写真取扱規則」二条一項、三条一項、四条、昭和四五年本部訓令第七号「大阪府警察犯罪手口資料及び被疑者写真取扱規程」二〇条一項二号、昭和四四年国家公安委員会規則第六号「指紋等取扱規則」二条一号、二号、三条一項、四条一項、同年警察庁訓令第八号「指紋等取扱細則」二条、同年本部訓令第三六号「大阪府警察指紋等取扱規程」八条)、逮捕された小松義明の身柄は前記無免許運転の被疑事件とともに、生野警察署司法警察員から大阪地方検察庁検察官に送られ、ついで事件が大阪区検察庁に身柄拘束のまま移送され、同庁検察官事務取扱検察事務官は小松義明の逮捕継続中に、起訴状に「逮捕中待命」と朱書表示して(刑訴規則一六四条一項二号、法務省刑事総(秘)第一〇号訓令「事件事務規程」六五条二項)大阪簡易裁判所に略式命令請求の起訴をなし、かつ一件書類とともに現行犯人逮捕手続書を差し出したこと(刑訴規則二八九条、なお同規則一六七条一項)、

4  小松慶治の氏名等を冒用する小松義明を現行犯逮捕した翌日である昭和五一年八月一七日生野警察署から同人の指紋票および被疑者写真票の送付を受けた大阪府警察本部鑑識課は、直ちに保管する指紋資料等との対照などをした結果、受理した指紋票の指紋と保管している小松義明の指紋票の指紋の特徴が一致し、両指紋は同一人のもので偽名使用の疑いのあることを発見したので、翌一八日その旨を生野警察署長に通知し(前掲「指紋等取扱細則」三条、四条、前掲「大阪府警察指紋等取扱規程」一四条)、生野警察署およびさらに連絡を受けた大阪地方検察庁の各捜査官らは、直ちに小松義明および実弟小松慶治を取り調べ、念のため改めて両人の指紋を採取して保管資料と対照するなどした結果、本件無免許運転は小松義明がなし、同人が現行犯逮捕され、勝手に実弟小松慶治の氏名等を冒用し、そのため逮捕中に実弟小松慶治の氏名で略式命令請求の起訴、同命令の発布がなされ、小松義明が同命令謄本の送達を受け、罰金を即時仮納付していたもので、実弟小松慶治はこれらを全く知らず関係のないことが判明したので、同月一八日発布された前記略式命令に対し、同月二七日大阪区検察庁検察官事務取扱検事から正式裁判の請求がなされたこと、

5  その後同年一〇月八日にいたり大阪区検察庁検察官が、前記の如く同年八月一八日公訴を提起し略式命令を請求した本件起訴状の記載につき、小松義明が小松慶治の氏名を冒用していたことが判明したので、氏名「小松慶治」とあるを「小松慶治こと小松義明」と改めるほか年令、住居、本籍をそれぞれ小松義明のそれに合致するよう訂正したい旨の起訴状記載事項の訂正申立(訂正申立の内容は別紙の第三のとおりである)をした。しかるところ、同年一一月三〇日大阪簡易裁判所は、「逮捕中待命方式による略式命令請求の場合といえども、その被告人はその起訴状の記載によつて決定されるものと解する。従つて、これに対し発布された略式命令、その略式命令に対する正式裁判の申立は起訴状に表示された被告人以外の者に効力を生じ得ないところ、検察官は小松義明は小松慶治と異る実在人であるというのであるから本件申立は被告人氏名の訂正でなく、本件起訴の効力を指定された被告人以外の者に及ぼそうというに帰着し、許容することはできない。」として右申立を却下し、ついで、同年一二月二一日正式裁判に移行した本件道路交通法違反被告事件について、被告人を小松慶治とし、同人に略式命令がその請求のあつた日から四か月以内に告知されなかつた理由もつて「昭和五一年八月一八日付大阪簡易裁判所の発した略式命令はこれを取消す。本件公訴はこれを棄却する」旨決定したこと、が認められる。

二被告人の特定について

1  被告人を定めるについては、通常起訴状にあらわれた被告人の表示、検察官の意思、被告人としての挙動等を基準として具体的な事例において、当該訴訟手続の段階、形態、経過等にかんがみ合理的に確定すべきであるが、簡易迅速を旨とする略式手続においては、裁判所の事件受理から略式命令を発するまでの裁判形成の過程において原則として、検察官が関与せず、また被告人が被告人として現実に行為する場面はないこと、略式命令は専ら起訴状に基づき証拠書類等を審査して発するもので起訴状と略式命令の間には密接不離の対応関係があることなどからいつて、略式命令における被告人が誰であるかは、起訴状の被告人の表示、検察官の起訴における客観的意思、これらと関係づけられた略式命令書の表示および裁判所の客観的意思等を具体的な事例において、当該略式手続の形態、経過等に照らし合理的に確定すべきであると解する。

2  ところで、いわゆる三者即日処理方式による略式手続、すなわち交通切符適用事件において、警察官が検挙現場等で違反者の免許証を保管し、違反者に対して四枚一組の交通切符の一枚目を交付し、出頭すべき日時、場所を告知したうえ、指定の日時、場所において、出頭した違反者に対し警察の手続、略式命令請求までの検察庁の手続、略式命令の発布および告知の裁判所の手続、さらに罰金等の仮納付の手続などを一連の流れ作業として行うが、身柄拘束がされていない略式手続においては、違反者が実在の他人の氏名を冒用し、捜査官に対し被疑者として行動し、かつ裁判所で被疑者として被冒用者名義の略式命令の謄本の交付を受けて即時罰金を仮納付する事実があつたからといつて、略式命令の効力が違反者である冒用者に生じたものとすることできない、とされている(最高裁判所昭和五〇年五月三〇日決定、刑集二九巻五号三六〇頁参照)。

3 一方、前記一において認定の如き、逮捕中待命方式による略式手続の場合は、右の三者即日処理方式の場合と異なり、(イ)、起訴状に「逮捕中待命」なる旨が記載され、被告人は氏名等の記載をもつて表示されているが、その被告人は逮捕中の者である旨の被告人についての実質的表示があるといえること、(ロ)、被疑者犯人は捜査から起訴にわたつて逮捕中であり、検察官の起訴における意思が逮捕中の被疑者その者を被告人となしたといえる客観的情況があること、(ハ)、逮捕は被疑者が誰であつたか後のちまで明らかな被疑者写真票、一〇指指紋等の指紋原紙および指紋票により裏打ちされており、また府県警察本部鑑識課あるいは警察庁鑑識課の指紋対照により早期に偽名等が発覚し本名の発見が期待される実質を内包していること、(二)、三者即日処理方式においては被検挙者以外の者が指定日時場所に出頭して一連の手続にのり略式命令の告知手続を受ける余地があるが逮捕中の場合はかかる虞れが全くないこと、(ホ)、略式命令には「逮捕中」なる旨など身柄関係の表示はないが、通常の場合裁判所は起訴状の「逮捕中待命」の表示に即応し、差し出された逮捕状または現行犯人逮捕手続書等により身柄関係制限時間を点検し、略式命令を逮捕中待命者に告知すべく迅速に略式命令を発し、裁判所書記官、廷吏等において逮捕中待命者に略式命令謄本の送達をしており、裁判所の意思は起訴状の「逮捕中待命」の表示に対応し、同待命者を指向しており、原則として起訴状の表示および検察官の客観的意思との間に乖離がないこと、そして略式命令はこの裁判所の意思の発現したものであることなど、起訴状における「逮捕中待命」なる被告人に関する実質的表示、逮捕中なる事実および写真、指紋に裏打ちされた検察官の起訴における客観的意思、これらと対応関係にある略式命令における裁判所の客観的意思等にかんがみると、逮捕中待命方式において、「逮捕」された被逮捕者が実在の他人の氏名を冒用し、起訴状に被冒用者名義であるが「逮捕中待命」と表示されて逮捕中の略式命令請求の起訴をされたときは、特段の事由のない限り、起訴における被告人は被冒用者ではなくて冒用者である被逮捕者であり、この者が被告人として被冒用者名義の略式命令の謄本の交付を受けたときは、原則として略式命令の効力は冒用者である被逮捕者に生ずるものと解するのが相当である。

4 本件についてこれをみると、前記一認定の如く(イ)、起訴状に「逮捕中待命」と明記され、被告人の氏名等が被冒用者である実弟小松慶治の氏名、年令、住居等で表示されているが、その被告人は逮捕中の者である旨の表示があること、(ロ)、被疑者犯人小松義明は、昭和五一年八月一六日午前一一時三五分現行犯人として逮捕され、同月一八日午前九時五〇分ころ大阪簡易裁判所に公訴を提起して略式命令を請求する起訴状が受理されるまで逮捕中であり、起訴した大阪区検察庁検察官事務取扱検察事務官の起訴における意思は逮捕中である、小松慶治と自称する小松義明その者を被告人として起訴したと認められる客観的情況があること、(ハ)、逮捕された小松義明の写真および一〇指指紋等が即日(同年八月一六日)とられるとともに、その被疑者写真票、指紋原紙、指紋票が作成され、翌一七日指紋票等の送付をうけた大阪府警察本部鑑識課における保管指紋票との対照により早くも小松義明の偽名使用の疑いが発見されていること、(ニ)、小松慶治を自称する小松義明以外の者に略式命令謄本が送達される虞がないこと、(ホ)、同月一八日大阪簡易裁判所が発した本件略式命令には、「逮捕中」なる旨の記載はなく別紙の第二の如く小松慶治の氏名等が表示されているが、同命令は同日午前九時五〇分ころ受理された本件略式命令請求の起訴について、起訴状の「逮捕中待命」の表示に即応し、差し出された現行犯人逮捕手続書、および検察官が身柄を受け取つた時刻、留置期間等を明らかにする留置書により身柄についての二四時間の制限時間は同日午後一時三〇分までであることを点検し、略式命令を逮捕中待命者に告知すべく迅速に証拠書類等により審理をして略式命令を発し、起訴状受理より僅か約一時間二五分後である同日午前一一時一五分大阪地方・区検察庁庁舎内執行徴収課室内において、廷吏が待命者である小松慶治と自称する小松義明に対し略式命令謄本を送達しており、裁判所の客観的意思は、略式命令の氏名等の表示にかかわらず、起訴状の「逮捕中待命」の表示に密接に即応し、逮捕中起訴された待命者を指向しているといえることなどが認められ、これらを総合すると、本件起訴における被告人は、無免許運転で現行犯人として逮捕された小松義明が、実弟小松慶治の氏名等を自称冒用し、そのため起訴をなした検察官事務取扱検察事務官により実弟の小松慶治名義に表示されたが、同時に「逮捕中待命」と表示され、かつ、逮捕中に起訴されたのであるから、実弟名を自称冒用した被逮捕者その者、すなわち小松慶治こと小松義明であつて、氏名を冒用された小松慶治でないというべく、右起訴に対応する本件略式命令の効力は、逮捕に引続く待命中に被告人として小松慶治名義の略式命令謄本の交付を受けた小松慶治こと小松義明に生じたものと認められる。

してみると、本件起訴および略式命令における被告人は小松慶治ではなく、同人名を自称冒用した小松慶治こと小松義明であり、略式命令の効力が同人に生じているのにかかわらず、被告人を被冒用者の小松慶治であると解し、同人に略式命令がその請求のあつた日から四か月以内に告知されなかつた理由をもつて「昭和五一年八月一八日付大阪簡易裁判所の発した略式命令はこれを取消す。本件公訴はこれを棄却する」とした原決定には、被告人の特定および略式命令の告知に関する刑訴法二五六条二項一号および同規則一六四条並びに同法四六三条の二第一項の解釈適用を誤つた違法があるといわなければならない。論旨は理由がある。

よつて、本件即時抗告は理由があるから刑訴法四二六条二項により原決定を取り消し、主文のとおり決定する。

(矢島好信 吉田治正 朝岡智幸)

別紙

第一 起訴状の被告人に関する表示

逮捕中待命

本籍 大阪市西成区橘通三丁目九番地

住居 大阪市平野区長吉六反東五の五市住九棟二〇三号

職業 会社役員

氏名 小松慶治

年令 昭和四年五月一〇日生

第二 略式命令の被告人に関する表示および主文

1 大阪市平野区長吉六反東五の五

市住九棟二〇三号

会社役員

小松慶治

昭和四年五月一〇日生

2 主文

被告人を罰金四万円に処する。

右罰金を完納できないときは金千円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

右罰金に相当する金額を仮に納付することを命ずる。

第三 起訴状記載事項の訂正申立の内容起訴状記載事項のうち被告人の表示に関する部分を次のとおり訂正する。

(一) 本籍 大阪市西成区橘三丁目九番地(「橘通」とあるのを「橘」と訂正)

(二) 住居 大阪市平野区長吉出戸八丁目一四番 市営住宅三六棟三〇一号

(三) 氏名 小松慶治こと小松義明

(四) 年令 昭和二年九月五日生

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